#とあるジャニヲタの1日 ガムシャラSexy夜勤祭りをする訳あり女子大生編

 人の生活は覗きたくなるものである。それは自分の活が普通なのか、普通じゃないのかの物差しにしたり、自分の生活に不満があってみんなはどうやって過ごしているのだろうと人の時間の使い方に興味があるからだと考える。高校生のときから、『OZplus』や『日経WOMAN』を読むのが大好きなわたしはジャニヲタが日々どのように生活をしているのかを知りたいとともに、いかに自分が1日にジャニヲタをしているのか振り返ってみたいと思った。

 コル丘はなんちゃって芸術系大学の2年生。本当は4年生なんだけど、専攻を変えたので事実上ダブっている。

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◎04:30~06:30 睡眠

寝るのが遅いのは夜勤をしているからである。そのことについては後に書くが、そのため睡眠時間がかなり短い。基本的に寝起きは良いため、起きてさっとtwitterとLINEを見たらだいたい起きる。目覚ましはB.A.D.の『V.I.P.』か関西ジャニーズJr.の『UME強引オン!』かジャニーズWESTの『ズンドコパラダイス』かSexyZoneの『男never give up!』。

 

◎06:30~07:30 朝支度

ボブなので毎日欠かせないのはコテ。たとえスッピンでも髪の毛だけはセットしないと自分のアイデンティティーが保てない。できるだけ朝食も取りたいのでお味噌汁とかお茶漬けとかヨーグルトとか何かしら口にするように心がけている。前日に学校の準備はするようにしているがだいたいしていないので教材やファイルを入れ替えたり…そしてファイルはほぼ全部ジャニーズ。服は前日に用意していると翌朝に心変わりしちゃうので着る直前に決める。目覚ましテレビをつけているが、家を出るまであと20分!になると『まいどジャーニ〜』や『ザ少年倶楽部』を再生しながらメイクしがち。そして出るぎりぎりになって寝る前にセットしてあった洗濯物を干す。

 

◎07:30~09:00  通学

ラッシュと逆方向なので座れる。ぐっすり寝るか、本当に申し訳ないけど終わらなかった化粧を仕上げるか、twitter見るか。本当は新聞読みたい。たまに読んでいるがやはり基本爆睡。気絶に近い。推しのジャニーズWESTを聴きたいけど寝るには騒がしすぎるのでKinKi Kidsを聞いてることが多い。

 

◎09:00~12:00  授業

1限からだとこの時間。基本的に真面目に受けているけど、内職したほうが集中できるタイプなので本読んだり、twitterいじったり、手帳ひらいて予定立てたり…語学とかだと家に帰ってまとめたりしなくていいようにその場で単語帳とか作ってます。淳弥くんも履修してるからフランス語は特に気合が入る。専攻の関係で映画とか見たりするので、wiki見て他にこの作品つくってるとかこれも観たいとかそういうののチェックをしてたりします。

 

◎12:00~13:00  お昼休み

だいたいお弁当持参するようにしてる。安いし、学食やコンビニが混むのでそれで休みが削られるのが嫌。まあ、チンするのが混んでるんだけど…ヲタクの仲の良い子と食べるか可愛い子ちゃんの集団とごはん。ヲタクの子と食べる場合は急にテンション上がりすぎて机の周りぐるぐる回ってたりする…この時間を目的に学校行ってたりもする。可愛い子ちゃんたちと食べるときはわたしが年長者なので「うんうんかわいい♡」ってにやにや。ごはん食べ終わった後に「どうしよう…食べ足りない…」「これが太るんだよね泣」って言ってる彼女たちを連れてコンビニに行き「太らん太らん!食べなっせ、たんと食べなっせ♡」って煽るのが楽しい。

 

◎13:00~16:00  授業 (日によって終わる時間は違う)

お昼が終わったら授業…これがキツイ。モノクロ映画とか洋画とかだともう気絶。記憶ない…。梅ねりとか食べてなんとか生きてる…空きコマがあるときはお昼食べるジャニヲタの子と過ごすことが多い。一人だとPC持ってきて一コマ一コマ送りながらジャニーズWESTのキャプ撮りまくってたりもする。(周りから見たら怖い人)

 

◎授業終わり~21:30  自由時間

学校の終わりに名画座の2本立てを見に行ったり、美術館行ったり、お買い物行ったり、友だちと甘いもの食べたり、ヲタクの子とカラオケ行ったり。でも一人で過ごすことが多い…電車は死んだように寝ている。課題がある!とか、もう眠い!ほんと無理!ってときは直帰…寝ていることが多いがだらだら過ごしている。再放送の2時間サスペンスとか見ながらスケジュール帳開いたり、ネットサーフィンとか雑誌読んだり。夕飯は自炊が多いのでそのときに翌日の朝ごはんやお弁当を作ったりします。まあこれはできたらだけど…。水曜日は必ず出勤前に少クラを舐めるように観る。出勤前がわたしのジャニーズタイム。

 

◎21:30~03:00  夜勤

さてさて夜勤の始まりです。週4か5くらいで働いてます。この時間はわたしにとってヲタ活する時間でもあります。そうジャニーズタイムです。暇なときは待機が多いのでスマホいじり放題なんですよ、というかスマホ以外できることがない…twitterがうるさいのはいじってないと寝ちゃいそうだからなのだ。見れない番組の実況やラジオの文字起こし、現場のレポなど楽しむ。なので簡易充電は必須。黒服さんもわたしがジャニヲタなの知ってるからスマホ見てにやにやしてても怒られない。もしtwitterに浮上しないときは指名のお客さん来てるんだなって思ってください。(滅多にない)

 

◎03:00~04:30  寝る支度

夜勤の終わる時間がまちまちなんで遅いと5時だったり…。だいたい3時。ドレスを脱いだら、歩いて帰宅です。途中で108円のビーフジャーキーを買ってかじりながら『jam×jam』ラジオの朝田淳弥くんと大橋和也くんの回の録音を聴いて帰る。帰ってからがめっちゃ忙しい。湯船にお湯をはって、その間に化粧落として、翌日のお弁当を用意します。お弁当って言ってもできるだけ簡単なもの。ジップロックのタッパーにご飯詰めて、その上にレタスと生姜焼きとか。鮭のムニエルとか。タコライスとかかな…この時間の場合は事前に作って冷凍していたものを乗せたり詰めるだけって感じ。さて、1日のリラックスタイムのお風呂です。睡眠時間を削っても半身浴はしたい。ipadに入れたジャニーズの動画を見ながら20分くらいお湯に浸かります。だいたい『少年たち 格子無き牢獄 松竹座公演』観ます。お風呂から上がったら、洗濯機のタイマーセットして髪は乾かさずおやすみなさい。

 

こんな感じかな…土日は夜勤から帰ったら朝から飲食のバイトしてるからもっと過酷かも。でも充実してます。1日が長すぎて嫌になるときもあるけど楽しいです。よく忙しそうだからあまり遊んでない?と言われますが、ちゃんと遊んでますよ♡ぜんぜん遊びに誘ってください。

 

 

 

 

 

 

わたしのリアル、死んでる?

  高校1年生の冬の書道の時間に、みんなでTwitter始めようぜ!とアカウントを作って早6年目。何度かアカウントを転々としたものの今も続けている。こんなに長く続けているSNSTwitterだけだ。
  今、動いているアカウントは使い始めて1年経った。主にジャニーズのことを呟く、所謂ヲタ垢である。このアカウントでたくさんジャニヲタさんと知り合って、遠征先で一緒にご飯食べたり、チケットを譲り合って現場に行ったり、おうちに連れ込んで鑑賞会したりした。泊まりに来ると添い寝するソフレなジャニヲタちゃんもいる。(もちろん女子)もともとこのヲタ垢を作ったのは、リア垢でジャニーズのことを呟くと迷惑がかかると感じたからだ。
  「迷惑がかかる」とはTLに興味のない見知らぬ男の子たちの画像やら動画やらがバーっと並ばれたらリア友たちは不快になるのではということである。もともとジャニーズが好きでツイートの3割程度ぐらいでジャニーズ関連の事柄を呟いていた。しかし、8割がジャニーズのことになったときTLの居心地が悪くなった。そこで、新しくヲタ垢を作ることにしたのである。
  「全然Twitter更新しないよね」と言われる。リア垢の話である。確かにもう半年ぐらい呟いてないしほとんど開いてもない。「わたしのリア垢死んでるんだよね」と笑いながら言うと「リアルが死んでるみたいだね」と返された。ある意味間違っていないかもしれない。アイドルという虚像に陶酔しててわたしリアル(現実)にちゃんと生きてる?そしてヲタ垢を使い始めて1年経った今、ことは起きた。リア友がヲタ垢を見つけてフォローし始めたのである。
  「これ、ヲタ垢だから…ジャニーズのことばっかり呟いてるから!今すぐフォロー外して!」とお願いするがリア友は「楽しそうにしててよかった、リア垢が動かないから心配してた」とか「ヲタ垢結構面白いよ」と言ってくれるのでTLを埋めがちなRTを非表示にすることと、嫌だったらリムーブ、ブロック、ミュートを気にせずしてねと先に提示して相互フォローすることとなった。
  しかし、今後どうしようとも思う。リア友にフォローされ続けていると友人たちのおすすめユーザーにも表示されてしまうし、仲の良いリア友ならいいけどあまり見られたくないと思ってる人たちもいる。鍵をかけるのは不自由だし…リア垢もちゃんと更新するべきか…??
  わたしにとってリア垢は正直要らないものである。なぜならジャニヲタやっているわたしがリアル(現実)だからだ。ジャニーズを自分から引いて何も残らないまでではないしそうはなりたくないけど、わたしを構成する一部であることに変わりはない。そこを偽ってまでSNSで人付き合いすることあるのかなと疑問に思ってしまった。

だてマスクをした子どもたち

  マスクをした女の子。そのワードを見たとき、自分が高校生のとき課題で書いた小論文を思い出した。だて眼鏡ならぬ「だてマスク」をした子どもという内容の新聞記事から自分の意見を書くといったもので字数制限は800字。

  風邪でも花粉症でもないのに、素顔を隠す「だてマスク」をする子どもたちが増えている。彼らは、顔を隠し、視線に晒されない安心感があると言う。
  顔は人の表情や気持ちが現れる最大のコミュニケーションツールである。「だてマスク」をする中高生は、そのコミュニケーションツールをだてマスクで覆うことで他人とのコミュニケーションに壁を作っていると言える。鼻から下を覆うマスクは表情の印象大きく変える口角が見えなくなってしまう。「たでマスク」で顔を隠すことによって「何を思っているか」「何を考えているか」を見せない効果がある。他人と自分を「だてマスク」で隔てることにより、子どもたちは自分を守っている。また、マスクで顔を隠すことによってコンプレックスを隠す子どもたちもいる。自分の顔の嫌いな部分を隠す、顔だけでなく自信のない自分を隠すこともできる。
  これらのことから、「だてマスク」をる中高生は素の自分を受け入れられないと考える。なぜなら、マスクという仮面を被り、自分を隠し、生かしてないからだ。誰にでもコンプレックスはある。イギリスの女優であるオードリー・ヘップバーンは、痩せ過ぎている身体、大きな口、えらの張った顔がコンプレックスであったという。しかし彼女はそのコンプレックスを隠さなかった。ウエストの締まったドレスを纏い、ビビッドな色の口紅を塗り、顔の周りの髪は後ろで束ねるという、あえてコンプレックスが目立つ格好をした。彼女はコンプレックスを生かすことで成功した人である。
  人は人と関わることで自分を見つけていく。「だてマスク」をする中高生は人との関わりに壁を作り、自分を受け入れられないという悪循環に陥っている。自分を受け入れ、生かすためにも人とのコミュニケーションを隔てる「だてマスク」を外すべきだ。

  …なんて書いてた本人のわたしも当時は「だてマスク」をしている時期があった。学校は厳しくてお化粧もできなかったし、コンプレックスにまみれた顔をマスクで覆って安心感を感じていた自分に戒めの気持ちを込めて書いた記憶がある。




  

山下敦弘監督と愛すべき"クズ"

  クズ。
  ある男は日雇い労働をしながら人を妬み、風俗に通う。
  ある女は就活に失敗し、実家に引きこもり、父親の脛をかじる。

   クズ。
  そして、ある男は『古い日記』を歌う。

  これらのクズたちは山下敦弘監督作品の愛すべき主人公たちだ。『苦役列車』(2012)の日雇い労働者、貫多(森山未來)は親が性犯罪を犯し、中卒であることをコンプレックスに思う。そのため人を妬み、うまく関係が築けない。『もらとりあむタマ子』(2013)のタマ子(前田敦子)は、就活に失敗し大学卒業後、実家に引きこもり、現実逃避に少女漫画を読み更ける。このクズたちには向上心がない。「諦め」ているのである。

  貫多もタマ子もなんでこうなってしまっているのか自分の中に原因を見出している。だが、それの解決策は分からない。現状を打破できない。その苛立ちを友人や父親にぶつける。そしてやがて見放されていくのである。

  しかし、クズたちは腹を括っている。不安や苛立ちがありながらも周りに見放されながらもクズとして堂々と生きている。『味園ユニバース』(2015)のポチ男(渋谷すばる)の痛々しいまでのクズとしての生き様は清々しい。クズだって生きてていい。クズな日常も悪くはない。山下敦弘監督独特のクズの描き方は人間味があり、愛おしい。

  そして、そのクズの日常を映画館で観ることを勧めたい。あの少し緊張感のある暗闇の中で。映画を観ることしかできないあの空間で。自宅の手頃なサイズの画面で見るよりも彼ら彼女らの生き様はより一層残るであろう。特にポチ男の歌声は是非、劇場で体感して欲しい。



(冒頭、J-Stormの画面がデカデカと表示されますが、例のけたたましい音は入っていないので身構えなくて大丈夫です。元アラシックより。)

『お兄ちゃん、ガチャ』と乙女の沼

 

 「沼」。それは好きで好きでハマって抜け出せないことを意味するオタク用語である。金銭と時間をつぎ込み、人生を捧げるてしまう趣味を、底がなく、ずぶずぶと沈んでしまう沼に例えた表現である。現在放送中のテレビドラマ『お兄ちゃん、ガチャ』(2015/日本テレビ)ではその「沼」にハマり、「沼」に救いを求める女性が暗喩表現されている。

 『お兄ちゃん、ガチャ』が放送されている日本テレビの土曜深夜枠(注1)は『私立バカレア高校』(2012)以来、ジャニーズタレントを主演とした作品を放送してきた。12作品目となる本作は7作品目の『49』(2013)と同様、野島伸司が脚本を務めている。12作品続いてきたこのドラマ枠でも『お兄ちゃん、ガチャ』は異色である。1作品目の『私立バカレア高校』でジャニーズJr.とAKB48のグループ単位での共演が話題になったように、この枠での多くのドラマはジャニーズタレントとAKB48乃木坂46といった女性アイドルや若手女優と共演することが多い。また、作品の内容も『スプラウト』(2012)や『Piece』(2012)のような少女マンガのラブストーリー、『BAD BOYS J』(2013)や『仮面ティーチャー』(2013)といった少年マンガの不良もの、オリジナル作品においても『私立バカレア高校』(2012)や『49』(2014)のように学園もの青春ものが主である。つまり、現実世界を舞台にしている。

  『お兄ちゃん、ガチャ』はタイトルの通り、ガチャガチャでお兄ちゃんを引き当てる話である。小学生の少女・ミコ(鈴木梨央)は自由奔放な母に家事全般を任され、冷たい姉や凶暴な弟と手のかかる妹との生活にうんざりしていた。そんな冴えない現実を打破するため、ゲームセンターのお兄ちゃんガチャを試してみる。お兄ちゃんガチャは引くのに一回500コイン。契約するまでのキープは週1000コイン。最終的にひとりのお兄ちゃんと契約することができる。ガチャガチャのカプセルに入っている入浴剤のようなものを、一晩浴槽につけるとお兄ちゃんになる。お兄ちゃんはランク付けされており、ほとんどは外れのワッキー(ペナルティー)か田中(アンガールズ)であるが、AランクやSランクといったかっこよくて、優しくて、能力の高いお兄ちゃんがいる。自分の好みではないお兄ちゃんを引いた際や、契約をしないときは返品ができる。お兄ちゃんはピンクのボックスに入れられ、煙を浴びせられると跡形もなく消える。ミコが初めて引いたガチャはSランクのお兄ちゃんトイ(岸優太)であったがミコのお兄ちゃんになりたくないと言い出す。そして、トイはミコにぴったりのお兄ちゃんを探してくれることになる。

 映像は「メルヘン」で「ファンタジー」である。現実世界とは大きく異なるレトロでポップなビジュアルの世界で、セットやCGを駆使し、かわいらしい世界観を作り出している。また、車が突っ込んできたり、アクションのように映像化するのにお金や手間のかかる演出をイラストや効果音を用いて表現しており、低予算の深夜ドラマを逆手にとっている。ミコと同じバレエ教室に通うお嬢様、蛇崩ナツコ(木内舞留)のキープしている5人のAランクお兄ちゃんたち、通称お兄ちゃんズが劇中突然歌い踊り出すミュージカル的な演出が行われており、深夜ドラマのヌーベルヴァーグといっても過言ではないセンセーショナルな作風である。

 ビジュアルはゲームセンターの「ガチャポン」であるが、オンラインゲームの「ガチャ」の要素も含まれている。何が出るか分からず自分の納得いくものが出るまで引いてしまう、金銭をつぎ込むという点で「沼」を彷彿とさせる。またお兄ちゃんは返品することができ、消費される少年たち、つまりアイドルであるジャニーズを指し示している。ナツコは第2話にて「彼氏も夫も所詮は他人だけど、お兄ちゃんは永遠で不変。大人は汚い。(注2)わたしはピュアでプラトニックでいたい。」と言う。お兄ちゃんは永遠、それはどんなに我儘を言ってもどんなに自分をさらけ出しても受け入れてくれる、お兄ちゃんに嫌われることはないという解釈ができる。お兄ちゃんとはセックスをしない、性的な目で見られることのない存在、ピュアでプラトニックだ。第1話において家族とうまくいかないミコは「非日常の世界、ファンタジーを自由に泳いでみたい!」と泣きながら訴える。日常に疲れ果て、現実の男性に苦手意識もしくは嫌悪を感じる女性たちの非日常のファンタジー、それは「沼」である。ジャニーズなどのアイドルやヴィジュアル系バンド、アニメやBL、テニミュ(注3)など二次元作品の舞台化ミュージカル、フィギュアスケート、宝塚に至るまで「沼」は女子の非日常、ファンタジーの世界である。

 このドラマ枠の全作品の主演がジャニーズであることから視聴者ターゲットは絞られている。つまりリアルに絶望し、「沼」にハマっている女子たちである。女性アイドルや若手女優ではなく、性的対象とならない子役がヒロインであるのもファン心理に優しい。ガチャで引かれたお兄ちゃんたちは妹に気に入られようと必死に一生懸命尽くしてくれるが、ミコの引いたトイは違う。ミコにだけ優しくないのである。野島伸司はトイに女子を沼から救う鍵を託しているように思う。(2043字)

 

(注釈1)

土曜深夜(日曜未明)0:50〜1:20

私立バカレア高校 (2012年4月〜6月)

 主演:森本慎太郎 島崎遥香

・スプラウト (2012年7月〜9月)

 主演:知念侑李 森川葵

・Piece (2012年10月〜12月)

 主演:中山優馬 本田翼

・診療中 (2013年1月〜3月)

 主演:稲垣吾郎

BAD BOYS J  (2013年4月〜6月)

 主演:中島健人 橋本奈々未

・仮面ティーチャー (2013年7月〜9月)

 主演:藤ヶ谷太輔 大政絢

・49 (2013年10月〜12月)

 主演:佐藤勝利 山本舞香

・SHARK  (2014年1月〜3月)

 主演:平野紫耀 山下リオ

・SHARK〜2nd Season〜 (2014年4月〜6月)

 主演:重岡大毅

・近キョリ恋愛〜Season Zero〜 (2014年7月〜9月)

 主演:阿部顕嵐 石原杏奈

・平成舞祭組男 (2014年10月〜12月)

 主演:舞祭組

・お兄ちゃん、ガチャ (2015年1月〜)

 主演:鈴木梨央 岸優太

 

(注釈2)

「大人は汚い」という表現は野島伸司作品の『49』でも用いられている。

 

(注釈3)

ミュージカル『テニスの王子様』の略称。イケメン若手俳優たちが2次元キャラクターを演じる2.5次元ミュージカルの元祖。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

野島伸司の性癖

 「性癖」とは三省堂新明解国語辞典第七版によると、その人の行動・態度などに表れる、性質上のかたより・くせとある。その意味から派生して、フェティシズムというニュアンスも含む。野島伸司1988年のデビュー以来、26年間で企画も含め40以上もの作品を世に送り出してきた。トレンディードラマから社会派不幸ドラマ、そして現在のコメディータッチという作風の変遷があるものの、彼の作品には同じようなモチーフが繰り返し登場する。その性癖から野島伸司の変わらぬ主張が読み取れる。不幸ドラマ3部作のうち2作品『人間・失格〜たとえばぼくが死んだら』(1994 / TBS)、『未成年』(1995 / TBS)と近年の作品『理想の息子』(2012 / 日本テレビ)、『49』(2013 / 日本テレビ)を軸に野島伸司のメッセージを読み解こうと思う。

 野島伸司が繰り返し用いるモチーフはいじめ、同性愛、近親相姦、自殺など、奇抜なものが記憶に残る。野島伸司を語る上でもっとも重要で繰り返されるモチーフは「心優しく、脆い少年」である。そして野島伸司はいつだってこの「心優しくて、脆い少年」たちから居場所を奪うのである。中学生や高校生の少年たちにとっての居場所とは「学校」と「家庭」だ。いじめや家庭の崩壊を用いて、野島伸司はこの2つを残酷に徹底的に奪う。親に理解されず、友人に裏切られた彼らは孤独に耐えられず、破滅的になる。

 「心優しく、脆い少年」は他人の痛みに敏感で、その他人と比べると自分の痛みなんてたかが知れていると思っている。そして、他人の痛みにも自分の痛みにも傍観し耐えることしかできない。助けたくても、どうにかしたくてもそれが裏目に出るのではないかとびくびくして動くこともできない。そして、やりたいことや夢中になれることもない。一生懸命なにかに打ち込むことを恥ずかしいと思っている。そんな彼らは自己肯定ができない。その要因は「比べること」と「比べられること」にある。

 彼らは誰かと自分を比べている。そして誰かと自分は比べられている。『人間・失格』の誠(堂本剛)は父親の再婚相手のおなかにいる弟と、『未成年』のヒロ(いしだ壱成)は出来のいい兄と、『理想の息子』の小林(中島裕翔)はみんなに慕われる大地(山田涼介)と、『49』の暖(佐藤勝利)は社交的だった死んだ父親と。比べ、比べられることは嫉妬と劣等感を抱かせ、憎しみを生む。また、金銭的な豊かさという問題が必ず作品内に含まれる。『人間・失格』の誠と留加、『未成年』のヒロと順平、『理想の息子』の大地と小林、『49』の暖とサチのように登場人物に貧富の差を描き、裕福な人々は「お金がありゃ幸せってわけではない」と嘆き、貧しい人々は「お金さえあれば幸せになれるのに」と僻む。「比べること」と「比べられること」について野島伸司が強く描いたのが『未成年』の最終話のクライマックスである。主人公のヒロ(いしだ壱成)が犯罪を犯した仲間と逃避行をした末に辿り着いた学校のシーン、あの屋上での「未成年の主張」だ。

 「俺はずっと考えてたんだよ。俺達はなぜ生まれ、なぜ死ぬのか。けどいくら考えてもちっとも答えなんかでやしねえ。けど俺達はいつも何かを考える。花や木や虫達はそんなことを考えたりはしない。花はただそこに咲いているだけだ。ただ無心に精一杯咲いていつかは何も言わずに枯れていく。俺はそんな花が大好きだ。永遠じゃないから。いとおしく思って大事に水をやる。俺達も永遠じゃない。やがては誰もが死んじまう。ただ花と違うのは考えることだ。もっとたくさんの栄養を吸収したい。もっと太陽の光を浴びた。できれば一人で独占したい。嵐が来て他人が流されても。同情はするが助けることはない。俺達は同情が好きだ。俺達は他人の不幸が好きだ。俺達はいつもいつも自分を他人と比べている。いつもいつも小さい不満がある。孤独で自分の無力を嘆いている!もうそんな生き方はやめよう。初めからやり直すんだ。ただ自分の足元と空を見つめるだけでいい。ただそこに咲いている花みたいに。俺自身も比べられてきた。けど俺自身も友達のことを比べていたんだ。知らない間にそいつに同情してそいつを…友達なのに…デクを…あいつは許してくれた。だから俺も初めからやり直すんだ。あんな事件を起こした俺でもやり直せる。俺の愛する人が教えてくれた。ただ精一杯そこに咲いていた彼女。人間の価値をはかるメジャーはどこにも、どこにもないってことさ!頭の出来や体の出来で簡単にはかろうとする社会があるならその社会を拒絶しろ!俺達を比べる、すべての奴らを黙らせろ!お前ら、お前ら自分は無力だとシラける気か?矛盾を感じて、怒りを感じて、言葉に出してノーって言いたい時、俺は俺のダチはみんな一緒に付き合うぜ。」

 ヒロは自分が父親に出来のいい兄と比べられたのと同じように自分も無意識に自分と知的障がいをもつデクを比べていた。このヒロの訴えは4分にも及ぶ。聴衆とのカットバックがあるとはいえ主人公一人語りである。

 このような「演説」は野島伸司作品に多々見られる。登場人物に野島伸司が憑依して語りだす。テレビドラマとは思えない、詩的でまるで戯曲の台詞のようなこの「演説」がその作品でもっとも野島伸司が述べたい主張であるのだ。「演説」はドラマ終盤、もしくは最終回に行われることが通例であるが、『理想の息子』は第一話に存在する。『理想の息子』の主題は「母親と子供」であり、母親という存在を「子供の根っこ」と表現している。(注1)第一話に結論ともいえる主張を持ってきた以外にもこの作品は例外が多い。野島伸司の作品には語り部が存在し、主人公の「心優しくて、脆い、普通の少年」がナレーションを用いて心情吐露をする。『未成年』ではヒロ(いしだ壱成)が、『49』では暖(佐藤勝利)が、『人間・失格』では死んだ誠(堂本剛)の残した手紙を森田先生(桜井幸子)が読み上げるという間接的な形ではあるが彼の心の声である。しかし『理想の息子』の心情吐露は母の海(鈴木京香)であり、主人公の大地(山田涼介)の心情吐露はない。そもそもこの主人公の大地は葛藤が浅い。まっすぐで人を傷つけることなく自己主張ができ、優しくて強い。なぜなら大地には母親に絶対的に愛されていているという大きな自信があり、自身も母親を愛している。そのため大地は野島伸司の「心優しくて、脆い少年」像と少々異なる。それが当てはまるのはどちらかというと母親の言いなりになり卑屈で意気地なしの友人、小林(中島裕翔)である。小林は大地と比較され、母親にまで「大地くんのような息子が欲しかった」と言われる。大地が感情的でヒステリーぎみな母親や問題行動の多い学校の友人に振り回されてストーリーは展開するが、最終話目前の9話において事態は一変する。大地と比べられ続けたことによる嫉妬と劣等感を募らせた小林に裏切られたうえ、最愛の母親が再婚を決める。「学校」と「家庭」の2つの居場所を奪われた大地は壊れる。自分の軸であった母親を失った大地は「心優しくて、脆い少年」である。裏切られてもなお小林を庇う大地の心情吐露を主題歌が補う。この作品のメインキャストにはジャニーズ事務所のタレントが3名出演している。従って、ドラマと平行してジャニーズタレントが歌う主題歌も推していかなければならず、ドラマの見せ場では主題歌を流す。そしてこのドラマの主題歌、『SUPER DELICATE(注2)野島伸司が作詞を担当しているのである。いままでエンディングで流されていたこの曲が挿入歌として流れ、大地の心情とシンクロするのである。


(注1)

【理想の息子 第1話】

 マザコンであると先輩たちに馬鹿にされているときの大地の演説。

〈大地〉

「赤ちゃんひねり出すのはスイカが鼻から出るほど痛いらしい。何が気に入らねえのか 一時間に最低一回は泣き叫ばれて、毎日、睡眠不足でノイローゼにもなりかかる。終始だっこで腱鞘炎さ。だけど評価なんてしてもらえない。妊娠は病気じゃない。「子育てなんて 誰でもしてきたことなんだから」って。まるで報われないのに必死でがんばって不安と希望に揺れながら子供のために真っ暗な土の中で根を伸ばす根っこさ。そう 母ちゃんは俺たちの根っこなんだ。母ちゃんは根っこだ。俺の根っこなんだ。テメエの根っこ嫌って、人生、花なんて咲くもんかよ!俺はマザコンじゃねえ。ただ母ちゃんが好きなだけさ。何発殴られようが世界中に叫んでやるよ。俺は母ちゃんが大好きなんだよ!このやろう!!!」

 

 

(注2)

SUPER DELICATE

 Hey!Say!JUMP 作詞:野島伸司 作曲:加藤裕介

ああ僕には

君にしか見せられない顔がある

 

他人の前では空気を読んで 作り笑いを続けている

もっと頑張れと言われたら 素直に頷いたりもする

 

子供の頃は知らなかった 自分がこんなに臆病だなんて

泣きたいよ 泣けないよ この胸がはりさけそうさ

 

君にしか見せられない顔がある

君にしか見せられない顔がある

大丈夫と微笑ってくれた

ああ僕には

君にしか見せられない顔がある

 

大人になると学習をして 偶然なんかに頼らない

だけどもしかしたらそれは 奇跡だったりしないだろうか

 

不思議な力が湧いてくる 君が勇気をくれたんだね

愛してる 愛してるんだ この胸が張り裂けそうさ

 

君にしか見せられない顔がある

僕にしか見せられない顔がある?

いつまでも いつまでも手を繋いでいた

ああ僕には

君にしか見せられない顔がある

 

子供の頃は知らなかった 自分がこんなに臆病だなんて

泣きたいよ 泣けないよ この胸がはりさけそうさ

 

君にしか見せられない顔がある

君にしか見せられない顔がある

大丈夫と微笑ってくれた

ああ僕には

君にしか見せられない顔がある

 


 『理想の息子』を含め、近年の作品は90年代の社会派不幸ドラマとは対照的にコメディー要素が多い。これは何を意味しているのだろうか。社会派不幸ドラマと呼ばれた『人間・失格』や『未成年』も終始シリアスなシーンというわけではない。主人公達は仲間と和気あいあいと過ごし、ふざけ合う。辛い出来事があっても気丈に振る舞う。しかし、破滅的で退廃的なエンディングを迎える。一方『理想の息子』や『49』、などの作品は最終的に日常に戻る。多少の変化があっても彼らの生活は変わらない。少年達の成長を描く。これは近年のテレビドラマ作品の全体的な特色でもある。そしてコメディー要素が高まるとシリアスなシーンがより際立つ。光が明るいほど、闇は暗い。『明日ママがいない』(2014 / 日本テレビ)でもその構成と演出が用いられている。辛くて悲しい現実に気丈に振る舞う、不自然なほどにはしゃぎ気を紛らわす様子をコメディータッチで描き、それがかえって辛くて悲しい現実をより濃くする。

 また、近年の作品では自己肯定ができない少女や女性に向けてのメッセージ性が高まっている。要因はジャニーズタレントの起用が挙げられる。ジャニーズタレントが必ず出演する日本テレビの深夜ドラマ枠で放送された『49』は野島伸司からジャニーズファンの少女や女性へのラブレターであった。ヒロインのサチ(山本舞香)は自分に自信がなくどうせわたしなんかという態度で大きな諦めをもっている。ジャニーズにはまる女性の多くはどこか現実的な恋愛やものごとに大きな諦めをもっているのだ。白馬の王子様は存在しないと理解しつつも、どこかで白馬の王子を待っている。幼女期に見た叶わぬ夢を諦め、ジャニーズという世界に逃避している。イミテーションなのである。それは女児アニメの魔法のステッキの玩具のように、本当は魔法は使えないプラスチックの偽物だ。それを案じているかのようにジャニーズのコンサートのペンライトは女児アニメの魔法のステッキのような形状である。『49』最終話のクライマックス、暖(佐藤勝利)に移った死んだ父親の魂とサチ(山本舞香)との別れのシーン、別れを渋るサチに暖は言う。「サイコーだな、こんな年でこんな若くてカワイイ子にそういってもらえるなんて。」自分は可愛くないと言うサチも対して暖は「鏡、ちゃんと見ろ。おまえはきれいだ。大人になったらもっときれいになる。」と答える。現実から逃避している少女や女性のじめじめとした自己否定に野島伸司は優しく語りかけている。

 野島伸司の作品は一貫して、自己肯定を促しているのである。生きているって素晴らしい。人は誰しも計れない、比べることのできない同じ価値がある。自分と同じように人の命は大切である。自分を大切にできなければ、人を大切にすることはできない。『人間・失格〜もしぼくが死んだら』の最終回での森田先生の演説(注3)に答えはある。自分自身を受け入れることができてこそ他人を受け入れることができる。時代や作風が変われどこの主張をさまざまなモチーフを用いながら、野島伸司20年間もの間変わらず主張してきたのである。



 (注3)

人間・失格〜もしぼくが死んだら 最終回】

 全校集会においての野田先生の演説。

〈野田先生〉

大場誠くんを殺したのはここにいるみんなです。

私も含めて直接いじめに関わった人、からかうようにたきつけた人、見て見ぬ振りをした人、知らなかった人、ここにいるすべての人が大場くんを殺したんです。あなたたちには実感がないんです。生きてる実感がきっとないんです。何か大きなものに流されて、自分が何なのか分からないでいるんです。人間なのか、自分の体の中に何色の血液が流れているのか、傷けると痛みを感じるのか、それが分からないあなたたちは友達の体から血が流れて、

苦痛に顔を歪めて、孤独や絶望で表情を失ってくのを見てほっとするんです。友達を傷つけることで生きてる実感を感じようとするんです。勘違いしないでください。友達にいくら赤い血が流れていても、涙が溢れていても、それはあなた達自身じゃない。

あなたたちは人間だとは言えません。みんなは生まれたことだけでもうとても素晴らしいことなの。生きてることだけで素晴らしいことなの。自分自身の存在に早く自分自身で気づいて。素晴らしい自分の命と同じように友達の命も素晴らしいことに気づいて。

自分を愛するように友達も愛して。

 

 

(参考資料)

【明日ママがいない 第6話】

施設職員のポストが問題を起こし、そのことに関して憶測で追い出そうとするこどもたちに対しての施設長魔王(三上博史)の演説

〈魔王〉

持っている枕をその胸に抱きなさい。

おまえたちは何に怯えている?おまえたちは世間から白い目で見られたくない、そういうふうに怯えているのか?だから、そうなる原因になるかもしれないあいつを排除する、そういうことなんだな。だがそれは表面的な考え方じゃないのか。もう一度この状況を胸にいれて考えることをしなさい。おまえたち自身の知るあいつは本当にそうなのか?乱暴者でひどい人間か?そんなふうにおまえたちはあいつから一度でもそういう行為や圧力を受けたことがあるのか?ならばなぜかばおうとしない。世の中がそういう目で見るならば世の中に向けてあいつはそんな人間じゃないってなぜ戦おうとしない。あなたたちはあの人のことを知らないんだってひとりひとり目を見て伝えようとそう戦おうとなぜ思わない。

臭いものに蓋をして自分とは関係ない、それで終わらせるつもりか?大人ならわかる、大人の中には価値観が固定され、自分の受け入れられないものを全て否定し、自分が正しいと声を荒げて攻撃してくるものもいる。それは、胸にクッションを持たないからだ。わかるか?そんな大人になったらおしまいだぞ。話し合いすらできない、モンスターになる。だがおまえたちはこどもだ、まだ間に合うんだ。

一度心に受け止めるクッションを、情緒を持ちなさい。

この世界には残念だが、目を背けたくなるようなひどい事件や、辛い出来事が実際に起こる。だがそれを、自分とは関係ない、関わりたくないとシャッターを閉めてはいけない。歯を食いしばって、一度心に受け止め、なにがひどいのか、なにが悲しいのか、なぜこんなことになってしまうのかそう考えることが必要なんだ。おまえたちはかわいそうか?ほんとうにそうか?両親がいても、毎日のように言い争いをしているその氷のような世界にいるこどもたちはどうだ?両親がそろっているくせにと、冷たく突き放すのか?もっとつらい子もたくさんいる。誰かに話したくても言えない子だっている。それでもおまえたちは、世界で一番、自分がかわいそうだと思いたいのか?そうだ、違うだろ、うんざりだろ。上から目線でかわいそうだなんて思われることに。何が分かるってんだ、冗談じゃない。かわいそうだと思う奴こそがかわいそうなんだ。

つまらん偽善者になるな。

つまらん大人になるな。

つまらん人間になるな。

あおえたちがつらい境遇にあるというならその分、人の痛みが分かるんじゃないのか?さみしいとき、そばに寄り添って欲しい、自分がそうしてほしいことをなぜしようとしない。

おまえたちが心にクッションが持てないと言うのなら、これからたとえどんな条件のいい里親がきたとしても、実の親がもう一度迎えに来たとしても、俺はこの家からおまえたちを出さんぞ!絶対に出さん!これがあいつのノートだ、おまえたちひとりひとりのことが書いてある。アレルギーのこと、何が好物で何が嫌いか、大切にしているものは何か、誕生日はいつか、そしてどんな子どもか。ひとりひとり手にとってそれを見なさい。それでもあいつを追い出したいと思うならそれでもかまわない。あいつは黙って出て行くだろう。いいか、最後にもう一度いうぞ。一度、心に受けとめるクッションをその胸に持ちなさい。世界に存在するあらゆる汚れや醜さに目を背けず一度、受け止めてみなさい。それができる人間は一方でこの世界の美しさ、愛おしさを知ることができるだろう。

おまえたちは傷つけられたんじゃない、磨かれたんだ。